哲学 書評

能力主義という価値観がもたらす闇を暴く。「実力も運のうち 能力主義は正義か?」 【書評・感想】

こんにちは。きつねこです。

2021年4月に日本で発売開始された本で、最近少し話題にもなっている、マイケル・サンデル氏の「実力も運のうち 能力主義は正義か?」を購入し、読了しました。

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なんとなしに、私が引きこもり時代から考えていな内容が多く、その内容を裏付ける証拠やデータなどを用い、事実を元に行き過ぎた能力主義の危険性を訴えている本であります。

 

行き過ぎた能力主義がどのような危険性をもたらし、現在進行形でどのような社会問題を引き起こしているか知れる一冊です。

 

 

 

 

 

 

能力主義が間違っているという本ではない

サンデル氏の能力主義に対し、偏見がないということは先に伝えておかなければならない。

決して、能力主義は間違っている!!という本ではないことを先に言っておきたい。

サンデル氏は能力主義の良い側面も3つ挙げている。

一つ目は、能力のある人を社会的に優遇することで、社会全体の生産性や利便性が向上するという点である。

この点については、私も同意で、能力の有る者が国を統治したり、会社の上に立つことでより多くの人間を幸福な状態に導くことが出来るだろう。

逆に能力のない者が上のポジションに着くと、多くの人間を振り回し、正しく導けないという点ではこの側面は良いと言える。

二つ目は、能力の前では差別がないという点である。

アメリカでは、差別がまだ色濃く残っているらしいが、それでも黒人のメジャーリーガーやNBAプレイヤー、それ以外の職業で働いている方もいる。

能力があれば、生まれや障害、人種、親の職業などで差別に合うことがない平等性があると能力主義の良い点を挙げている。

三つ目は、自分の努力次第で人生は変えられる!という自分で自分の人生を変えているという気分に浸れるという点である。生まれが貧乏でも最初は能力が低くても、努力と勤勉次第で人生は変えられる!という希望感をもたらしてくれるという点が三つ目に挙げられる。

ただ、この三つ目の良い点こそが、能力主義の闇の側面と大きく関わりがある。

 

本書では、人生は自分の力で変えられる!という信念の闇の側面を数多くの証拠・データを元に暴いた一冊と言えると思う。

 

 

行き過ぎた能力主義がもたらす闇の側面を少しだけ解説したいと思う。

 

行き過ぎた能力主義の闇の側面(ダークサイド):「自己責任論」

行き過ぎた能力主義の危険性として、結論から言ってしまうと、敗者・弱者を「努力や勉強が足りない怠け者だ」と社会全体として認識する点にある。

失敗や不運は全て自業自得であり、自らが招いた失態であり、価値がない存在であると。

また、逆に成功は全て自らの手によって得た報酬であり、私は称賛に値する価値のある人間であると。

こうした考え方が行き過ぎると社会は「人生は自らが選び取ることが出来るものであり、それ故、成功も失敗も全て自己責任である」という社会的価値観が出来上がる。

このような価値観は、どのような不運や不幸や恵まれない境遇にいる人たちの傷にさらに塩を塗る結果となる。

だがしかし、成功者は本気で自らの成功は自らの力で勝ち取ったと信じているから社会の溝は埋まらない。

行き過ぎた能力主義社会は、弱者の発言権を封殺し、勝者の発言権を肥大化させる仕組みができやすい。

 

 

成功した要因は、本当に”自分の力(努力)”だけであっただろうか?

成功者たちは「成功できた要因を努力と勤勉の賜物だ」と高らかに叫ぶ社会はますます弱者を傷つける。

よくよく考えてみて欲しいのだが、成功者たちの成功の要因の要素として少なからず必ず”運が良かった”という要素は必ず潜んでいる。

当然であるけれども、例えば大谷翔平を例に出すと、勿論大谷は努力を惜しまずやっていると思う。誰よりも野球に打ち込み、野球を考え、野球のための生活を24時間送っていることであろう。

ここで、思うのが、同じ練習量や同じ思考量をすれば大谷になれるのか?という疑問を持つけど、はっきり言って、私は同じだけのことをしても大谷になれないことは目に見えているし、プロで通用するかでさえ怪しいと思う。

当然の話なのだが、類いまれない運動能力や、体の大きさ、親の遺伝・育て方、良い指導者に巡り合えるか.....数々の幸運が積み重ならないと大谷のような活躍はできないであろう。

”運”という要素で結果は大きく左右されるし、そのような運と言う要素でその人の自己責任やら、その人の価値があるのやら、議論すること自体がおこがましい話なのである。

 

別に大谷選手が奢っているわけではないですし、嫌いだとかそういう意味ではないので、ここで例えに出したのは本当にすいませんでした。

 

 

 

”成功”は道徳なのか? 成功すれば正しいのか?

行き過ぎた能力主義の悪い側面として、「成功」=「道徳」と捉えがちな節がある。

日本でもこれは多いが、成功者や有名人が自分の専門外のことについても言及している場面がよくある。

別に言及することが悪いということではなくて、社会としても「あの人が言っているから正しい」と思い込んでしまう節がある思う。

成功者が「努力すれば報われる」といえば、努力が全能であるという価値観が作られ、「このような生き方は間違い」といえば、社会の生き方に影響を与えられる。成功者の言う生き方が出来ない人を苦しめる。

 

行き過ぎた能力主義は、発言の内容に限らず、「成功した者の発言は正しい。」「失敗した者の話など聞く価値がない」という価値観をどんどん強める社会になってしまうと、サンデル氏は警鐘を鳴らしている。

最近の例で言うと、メンタリストDaiGo氏の「ホームレスは死んだ方が良い」発言が典型的な「成功」=「道徳的に正しい」という勘違いした驕りが招いた炎上だったかなという印象。

 

 

成功者たちは謙虚であるべきである。

勿論、成功者たちは普通の人たちよりも血の滲む努力や勉強をしてきたことだと思うし、普通の人たちよりも圧倒的に行動しているのかもしれない。

だがしかし、サンデル氏は成功の裏には数多くの”幸運”が絡んでいたという事実も認めるべきである。とも言う。

さらに、努力しているがなかなか報われない、”幸運”からは縁の遠い人たちもいるということを知らなければならないとも言う。

勿論、成功者たちは努力したであろう。その努力を誇りに思うのは構わないし、誇りに思うのは当然である。

ただ、何度も言っているが、「努力だけでのし上がった」などという考えはただの驕りであり勘違いであるということを忘れてはならない。

正しくは、「私もあの時の運がなければあの人たちのようになっていたかもしれない」が正しい解釈であろうと言っている。

そのような考え方が行き過ぎた能力社会に歯止めをかける考え方である。

 

 

 

現在進行形で進んでいる行き過ぎた能力主義の闇

この本に書かれている話やデータなどはアメリカの話が多いのだけれども日本にもかなり近いものを感じることが出来たと思う。

特に学歴の話にすれば、一流大学に入る人は7割ほどが富裕層の家庭に生まれたというデータはとても近いなとも思った。

他にも、日本ではまだまだ成功者の発言の影響力は大きいという部分なども似ているという印象を受けた。

アメリカと違うのは、日本はアメリカほど差別や人種によって就ける仕事に差があるなどということはないという所くらいかな。

また、アメリカの自殺や薬物使用者、犯罪などを行う人の75%が低所得者層らしい。

行き過ぎた能力主義社会は、成功した人たちの住み心地は天国かもしれないが、弱者からすれば、這い上がることが難しい地獄のようなものと変わらない。

日本でも少なからずこういった状況は生まれていると思う。

 

まとめ

私としては、かなり共感でき、考えていたことが実際のデータを元に暴かれていく話には痛快なモノを感じました。

行き過ぎた能力主義がもたらす多くの弊害がこれでもかと書かれている本です。

まぁ、社会的に上の方たちからしたら都合の悪い本でしょう。自らの成功は全て自らの努力のお陰だ!と高らかに言うほどカッコいいことはないですからね。

ただ、成功が悪いということではなく、成功してからの態度が社会に大きな影響を与えるということでしょう。

正しいと思われていた能力主義社会に異議を唱えると共に、全ての人がこれからの社会をより公平にするためにはどうするか。正しく成功を解釈し、弱者を理解するか。

深く考えさせられる一冊であることは間違いないですね。

 

 

 

 

 

 

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