こんにちは。きつねこです。
う~~ん。
もうね。疲れたよ。うん。疲れた。
やっぱり、反出生主義についてブログとかに書いていたら反論とか来るだろうな~~~って思ってはいたけど、やっぱり反論がきてしんどくなる。
何がしんどいのかというと、どっからどう見ても論破できそうな理論なんだけど、それに言い返す労力と言い返してそれでも理解が平行線だったときの時間返せ!みたいな現象を何回も繰り返してきたから。
はっきり言って、反出生主義の正当性なんて誰でもわかるだろ!!!
なんでこれが分からないの?なんでなの?
意味わかんね。意味わかんね。意味わかんね。
あぁ~~~。いまだに出生は当たり前の行為として認められた洗脳教育がまかり通っているんだな~ってしみじみ思うね。
なんか、産まれてきて感謝するとか、親に感謝、出産は尊い、新しい命の誕生、人生とは修行を通じて成長する!
意味わからん。
まぁ、出生主義者からすれば、「なんでこんな当たり前の行為が非難されてるの?子供産むって普通じゃないの?反出生主義って頭おかしいんじゃないの?」とでも思ってるんだろうね。
いや、別に頭おかしくないよ。
これは個人的意見だけど、ツイッターで反出生主義者のツイート見てたら、客観的に理論的に話せているから頭良いと僕は思っているよ。
とにかく言いたいのは反出生主義は絶対的な正論であり真実というのは間違いないんだよ。
別に何もおかしい話言ってるわけじゃないじゃん。
・この世には苦痛が溢れている。生きるとは苦痛が絶対つきものだ。
・生まれてきたのは親のエゴ
・死ぬ権利が保障されていない
どれもこれもれっきとした客観的ファクトじゃないか。どこに反論する余地があるとでもいうのだろうか?そもそも反論すらできないじゃないか!
でもやはり思うのは、出生主義も出生主義で傷ついているのだなとも思う。
いくら、反出生主義が正論で真実を言っていようとも、実際に子供を産んでしまった方にとっては耳が痛いわけだからだ。
そのような意味では反出生主義も正論を振りかざして人を傷つけている点は謝らなければならないし、いくら正論と言えどなんでもかんでも言って良いわけではない。
本当にバランスが難しい。
出生主義は間違っているのだが、だからと言って、そのような人たちを責めても誰かが不幸になる。でも反出生主義の理論や意見も聞いてほしいし、その意見のお陰で思考の視野が広くなるかもしれないとも思うからだ。
人を傷つけずに意見を言うというのは難しい。
結局、人間というのは争わないと自己実現や幸福感を感じられないと思ってしまう。
そんなもの歴史を見ればわかり切った話だ。
人間は本能的に争うような設計を脳内に埋め込まれている。
僕の知っている弥生時代から現代にいたるまで、人類は戦争や争い、優劣をつけ勝った負けたで人を傷つけ幸福感に満たされ生きてきたわけだ。
これは何もマイナスに考えているわけではなくて、何度も言っているが客観的ファクトなわけだ。
そんな世界正当化してどうする?そんなの存続させる意味はあるの?人類なんて生き続ける意味はあるの?いつになればこういう不幸になる人がいなくなる世界が実現するの?いつになれば人間は争いをやめるの?
マジでこんな世界正当化する意味ない。
出生主義と反出生主義の争いもとても醜い情景だ。
どうすれば誰もが苦しまない世界ができるだろう・・
とりあえず、反出生主義を言っても理解してくれない人たちが多いから言う頻度を減らす。
本当にやり切れない・・・・・