こんにちは。きつねこです。
「お前、友達いないの?」
「あいつって友達いないらしいよ。」
「友達いないってかわいそうな奴だな」
世間では、特に若い世代の間ではこういう会話が繰り広げられているのが結構耳につく。
かくいう私も友達は少ない。ていうかいないに等しい。むしろいないと言っても過言ではない。
俺は友達一人でいないに等しいぞ
理由はここ2,3年合っている友達は1人しかいないからだ。
昔は、自分でいうのもあれだが、それなりに人並みには友達はいたと思う。
でも、高校中退を機に、中学までの友達とはそれなりに疎遠になり携帯電話がぶっ壊れたり、知らない間に友達が遠くに下宿、引っ越しをしていたりなど、もう一回会う機会も見つけられなかった感じだ。
そんな感じで、自分の近くに残ってくれた友達は一人しかいない。
その一人とも会うのは月に1回くらいで、映画を見に行ったり、飯を食いに行ったりと、適当に過ごす感じだ。
まぁ、そいつもこんな自分と関わってくれているのだから、かなりの変わり者なんだけど、それでも変わり者同士、気が合うのかもしれない。
「友達がいない」・・・・・だからどうした?
勿論、私は友達と呼んでも良いかどうかわからないような友達が1人いるから説得力が出るか分からないが、
「友達がいない」・・・・・だからどうした?
と思う。
むしろ私の経験上、友達の多さ、いるいないで考えている奴はしょうもない世間体を気にしたやつらがほとんどだと思っている。
こういう奴らほど、友達が多いか少ないかという所でしかほかの人と比較して勝てる所がないのであろう。
もしくは、世間の友達が多い方が人間的に優れているという、洗脳教育的な所も多いんじゃないかと思う。
小学校に入学する前に聞かされるであろう、「友達100人できるかな」っていうクソ局が代表例であろう。
薄っぺらい友達を100人作るのなら、厚い友情を3人作った方が5億倍、意味がある。
本当に、人間的に素晴らしいかどうかは友達の多さなんかで決まるわけがないし、むしろ成功者、偉人と呼ばれる人たちは薄っぺらい友達などの付き合いは極力捨てて、孤独に生きた人がほとんどだ。
それに、そもそもの素質として友達作りが下手な人も少なからずいるんだよ。
そういう人は無理にその素質を治すのは気持ち的にもしんどいだろうし、そもそもの素質があまりないのだから、純粋なパリピなんかになるのは到底困難だと思うんだよね。
それに、仮に私がパリピになりえたとしても、どこがで自分の本当の性格に嘘をついて、無理して人と合わせている所があるから、正直に生きてないという点ではそれはそれで、気持ちの消耗も激しいだろうなと。
だから、世間の風潮では、友達が多い=人として素晴らしい。
ってなっているけど、そんなわけないし、全然気にしなくていいよ。
むしろ、こういう世間の風潮があるからいじめとかが起きるんだろうね。ほんと、クソ。
友達がいない人にもしっかりとした長所、強みが必ずあるし、その人はそっちの分野で活躍すればいい。
友達がいないというのは世間の目が変人扱いしてくるだろうけど、変人は変人と突き通して、変人なりの結果を出せば良いのであって。
その変人なりの結果が出れば、
世間は手のひらを返したように羨望も眼差しでみてくるだろうから、俺はそういう人になりたいと心から望んでいるので、今日もブログを書いています。