本題じゃないけど、ゴミ親は子供産むなよ。
最近では、負け組、劣等種、貧乏、バカ、たちが子供産んで問題になっているけど、こんなもん議論の余地なしに、そんな低スペックな状態で子供を作るゴミ共が悪いに決まっている。
批判する奴は至極当然の批判をしているのであって、僕は、そんな低スペックな親から生まれるなんてまっぴらごめんだ。
速攻、自殺街道まっしぐらだね。
低スペックの親から生まれて困るのは、そこから生まれてきた子供たちだ。
想像してみろ。
家が貧乏でまともな教育を受けられず、顔はブスで、スタイルは悪く、脳みそもゴミ同然。ゴミ遺伝子をしっかり受け継ぎ、世渡りも上手くできず、周りからは変人扱い。特等席はいつも隅っこ。挙句の果てにいじめられ、のけ者ゴミ扱い。
生きる気力が湧くわけがない。行きつく先は鬱、引き、リスカ、自殺。
まるで、ヘドロのような生き様だ。
産まれてきた以上、ある程度は問題に立ち向かいわないといけないが、子供に罪はない。
この世に産み落とした親だけが悪いのだ。問題のすべてはここにある。命を持って子供の苦しみを償う覚悟で生きて欲しい。
まぁ、低スペックの親の話はこのくらいにしよう。今回の本題はこれではないからだ。
本題と言うのも、今回話したいのは、
どれだけ素晴らしい人間でも子供は作っちゃダメだというものを書いていきたい。
素晴らしいと言っても、一言で言えない。様々な要素があるだろう。
顔がイケメン、スタイルが良い、脳みその回転が速い、面白い、経済力がある、自信がある、問題にも屈しない精神力、人を惹きつける性格、優しい、特技がある、人の気持ちが分かる、運動能力が高い、
なんでもいい。
要は、世の中でいう長所という奴だ。
この世では長所のある奴は子供を産んでも良いという風潮があるが、僕はそれは間違っていると思う。
その理由を書いていきたい。
素晴らしい人間は子育ても成功させるだろう。しかし・・
素晴らしい人間は子育ても高確率で成功させるだろう。
素晴らしい遺伝子をお持ちで、愛情たっぷりに子供を育て、教育もお金をかけ、親の気配りもでき、子供第一で家庭が回っていく。
素晴らしい光景だ。毒親とは大違い。
そして、育てられた子供は高確率でその親に感謝する。
ん?これのどこが悪いのかって?
うん。この狭い範囲だけしか見なければ問題はなにもない。
むしろめでたいめでたい鯛めしでも食べようかと言うくらい祝杯を挙げる状態だろう。
でも、問題なのは広い視点で考えた時だ。
おそらく、このような過程で育った子供は将来輝かしい人生を送るだろう。
ある人は医者に。ある人は一流企業に。ある人は有名スポーツ選手に。ある人は大金持ちに。
要は、人生の勝ち組と言われる側の人間だ。
この世は表があれば裏がある。
うん。勝ち組がいれば負け組もいるってわけなんだよ。
少し、話が行ったり来たりするけど、なんで子供に教育ってするのか考えてみよう。
人様に迷惑をかけないため?
社会で上手くやっていくため?
競争社会で勝ち残っていくため?
いじめられないようにするため?
確かにさ。狭い視点で見ればその子にとってはプラスだし、社会でやっていくために教育って大切だと思う。
でもさ。その教育した故に周りを傷つけてませんか?って話
例えば、スタイルを磨くために早く寝てしっかり身長を伸ばしましたっていう教育。
身長が伸びたらその子にとってプラスだけど、周りの子に劣等感を与えてませんか?って話。
例えば、子供に勉強をたくさんさせて一流大学に入りました。
でもそれって、一流大学の限られた席の枠を巡って誰かを蹴落としてるわけだし、間接的に誰かの人生を侵害してませんか?って話。
うん。例えだしたらキリがないからこの位でやめとくね。
結局、教育って狭い範囲で見ればその子にとってプラスなんだけど、広い範囲で見れば人を蹴落として不幸に貶めてるからめちゃくちゃ残酷な行為なんだよね。
だから、子育てってのは失敗しても悲惨だし、成功しても広い視点で見れば悲惨な結末しか待ってないんだよ。
まぁ、悲惨が待っていても成功すりゃ良いじゃんって思う人は子供産んでくれても良いけど、そんな人に対して僕は「畜生、人間の皮を被った鬼」っていうフィルターを通して見るけどね。
どの道、出産に幸せな未来などないんだよ。
出産を通して幸せな世界など作れるはずがないんだ。
災厄を増やして汚い喜びをまき散らしているだけ。
だから辞めてね。子供作るなんて。周りからしたら迷惑でしかないから。