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劣等感はまったく良いものではないよ

よく世間では、劣等感について、

「劣等感は成功の原動力だ」

「劣等感があるから成長しようと思える」

「劣等感があるから行動力が上がる。」

「劣等感を克服すれば人間的に成長できる」

 

とか巷の本や、劣等感関連のサイトではよく言われているけど、正直個人的には、

正解っちゃ正解だけど、ちょっと違うかな・・

 

だってさ。俺も劣等感たくさんあるけど、こんな上の言葉の風になってないよ。

 

劣等感はたくさんあるけど、俺は成功者とは程遠い人生を歩んでいるし。

 

劣等感があるから尚更、成長しようと思わない。むしろ、劣等感がありすぎて、人生に絶望して、成長しようっていう気にもならない。

 

成長したところで、この劣等感を取り返せる感じがしない。

 

それくらい劣等感って言うのは心の闇っていうかドス黒い。人間のやる気とか自信とかを奪っている気がする。

 

そして、そんな感じだから行動力も上がらない。

劣等感があるから、自信が持てないし、自己肯定感が持てない。

だから、行動しても、「どうせまた上手くいかないんだろう」とか「自分には才能ないし・・ダメ人間だから・・」

みたいな、典型的ダメ人間。ネガティブゴミやろうの思考に染まってしまう。

 

劣等感を持っていて行動できる人はまだ幸せだ。

ほとんどの人間はこの劣等感という人類の闇に呑み込まれてしまうだろう。

劣等感を跳ねのける強靭なメンタルを持った成功者の声は僕たちには届かない。

 

そもそも劣等感を克服する方法すらも分からない。

かの有名なマイケル・ジャクソンでさえ劣等感を克服できず死んでしまったというから、そもそも劣等感の克服法なんて存在せずに、劣等感と上手く付き合っていくしか方法はないのかもしれない。

 

それの証明でもあるように、劣等感に関して有名なアドラー心理学では劣等感は克服するものではなく、どのように付き合うかが大切らしいからだ。

その点からしても、劣等感の克服なんて、最初から茨の道であったわけだ。

 

劣等感なんて、持っていないほうが、絶対良い。

 

実際、僕が小学生の時は、勉強もできたし、スポーツもそこそこできた。すなわち劣等感がなかった。

だから、勉強もどんどんしようと思ったし、運動だってしんどいけど前向きに取り組めた。

 

そして、テストで良い点数を取り、体育でも活躍するといった好循環が出来ていたのだ。

 

劣等感があれば、行動できると言うが、僕は真逆で劣等感がないほうが行動できた。

 

僕には劣等感を跳ねのけるほど、強靭なメンタルを持ち合わせていない。

 

劣等感なんてない方が良いに決まっている。

 

劣等感が存在する意味が分からない。こんなもの一部の人は成功のためのバネ変えることができるのかもしれないが、ほとんどの人はこの劣等感に押しつぶされてしまう。

 

また、もっと悪い方向にいくと、うつ病、引きこもり、犯罪、といった様々な社会問題を引き起こす。

 

ほんとに、劣等感のメリットを探そうにも見いだせない。

 

劣等感を持っている唯一のメリット

劣等感はデメリットばかりだと思っている。

確かに、劣等感をバネにして成功できる人間はメリットだらけでだろう。

しかし、この世の人たちみんなそのような強い人たちではない。

 

それでも、劣等感を持つメリットはあるはずだと自分なりに探してみた。

 

その結果、頭の悪い僕なりにも一つだけ、劣等感を持つメリットを探すことができた。

それは、

 

劣等感を持つ人たちの気持ちが理解できることである。

 

確かに、劣等感をほとんど持たない完璧な人間とやらも素晴らしい。

だけど、なぜか、そのような人たちに僕は魅力をあまり感じない。

 

そういう人は、持っているものが高すぎるせいか持っていない者たちの気持ちを想像する力が足りない気がする。

 

それに、反して、劣等感などを持つ人は劣等感を持つ人の悩みや、苦しみをよく理解し、寄り添える力が備わっていると思う。

劣等感を持つ人間には優しさがある。

 

一応、劣等感を持つメリットはこのくらいだろうか。

 

勿論、劣等感なんて持たないほうが良いという、自分なりの結論は変わらない。

 

劣等感を持った者同士、僻み、貶めあうのではなく、理解、同情、相談、寄り添い、助け合う社会が少しでもできればいいなと思う、10月23日の朝であった。

 

 

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