自殺者は人生の敗者である。
これがこの世の中の一般的な捉えられ方だろう。一般的にはこのように感じている人は多い。
勿論、自殺者の遺族に対しては敗者呼ばわりせずその場では同情するだろうが、心の中では敗者呼ばわりしているんじゃないかと思う。
でも僕は、この意見に反対だ。
一応、21歳ながら人生の艱難辛苦を経験してきた僕は言わせてもらうけど、
自殺者こそ人生の勝利者である。
その理由について書いていこうと思う。
人生の問題は努力ではどうにもならないことも多い
世間一般の考え方で言えば、この世の問題はその人間が努力すれば克服できる問題ばかりであると思われているけど、これは違うと思う。
「乗り越えられない試練はその人に与えられない」
といった格言がこの世にはあって、その格言を信じている人は多いみたいだけど、これは大きな間違いだと思う。
僕個人の感覚から言うと、この世は平気で努力しても乗り越えられない試練を与えてくる世の中だと痛感している。
例えば、現代の医学では治しきれない病であったり、不慮の事故、親の虐待、殺人などなど。
ほかにも、その人間の性格の問題で有ったり、劣等感、精神病、などもかなり克服しづらい問題の部類に入る。
僕の経験から言うと、僕は以前極度のコミュ障だったが、今でもニートであるけれど、周りの人からは、過去に引きこもっていたようには見えないと言われる。
理由はコミュ力がある程度改善されたことが大きな要因なんだけど、このコミュ力の向上は僕自身が努力したとかそういうことじゃないんだよね。
以前の僕はコミュ力の問題で自殺するほど悩んだけど、努力しても向上しないし努力が意味がないと感じてからコミュ力の問題をほったらかしにしていたら勝手にコミュ力が改善されたんだよね。
今では、人並みかどうか分からないけど、以前よりはかなりマシになったと感じてる。
結局何が言いたいのかというと、
自分は運が良かっただけなんだよね。
別に、コミュ力を上げる練習とか努力とかしたわけではないし、コミュ力の問題をほったらかしにしてたら勝手にコミュ力が向上したんだよ。
ほんと。勝手にコミュ力がついてたの。自然と人と会話で来てる自分にも結構驚いてる。
まぁ、これは自分の運が良かっただけなんだけど、結局、世の中運ゲーだと俺は感じてる。
世の中で英雄になる人、金持ちになる人、成功する人、落ちぶれる人、ダメ人間になる人、病気になる人、殺人鬼になる人、
これ全部、運だと思うんだよね。
成功するも失敗するもすべて運。
こういう風に考えれば成功しても運のおかげなので傲慢にならずに済むし、失敗しても必要以上に己を責めたり落ち込んだりする必要はない。
むしろダメ人間でも開き直って良いんだよね。
個人的には、世の中はなにか目に見えない大きすぎる力が働いていて、それは運であり、宇宙そのものであり。
その運。すなわち宇宙そのものの力に比べて、人間の努力なんざ圧倒的に非力であってゴミみたいな存在なんだよね。
だから、努力絶対崇拝論はそもそも限界なんだよね。
それは一般的な遺伝子をもらって努力してウサイン・ボルトくらい速く走れって言ってるようなもんだからね。
そんなん無理に決まってるやん。
この世の努力なんて限界があるに決まってるし、それ故、この世で解決しない問題も出てきて当たり前なんだよね。
だからこの世は地獄なんだよ。
人生とは出口のない闇である
個人的に人生とは出口のない闇だと思ってる。
ロシアで劇作家であり小説家であったチェーホフはこのような言葉を残している。
思索的な人間が成年期に達して、成熟した意識を持つようになると、自分が出口のない罠にかかっているように感じるものです。
(チェーホフ)
確かに、この世は解決できないような難しい問題が多いような気がする。
僕の場合は劣等感だ。
今でも劣等感にはかなり悩まされるし、落ち込んだ時は自殺も普通に考える。
まぁ、考えるだけで、死にきる勇気はないのだけれど。
まぁ、劣等感に関して、世間はこういうと思う。
「劣等感とか気にせず受け入れたらいいやん」
めちゃくちゃ浅はかなアドバイスだと思う。
劣等感を簡単に受け入れられたら、鬱や引きこもりなどの問題はとうの昔に解決しているし、劣等感を克服する本などが書店で並ぶわけがない。
また、最近興味を持ったのはマイケル・ジャクソンの話だ。
マイケル・ジャクソンは産まれは黒人でかなり劣等感を持っていたらしい。
それに劣等感は肌が黒いことだけでなく、目鼻立ちなどの容姿も。
それが劣等感でめちゃくちゃ整形を繰り返していたらしいのだ。
しかし、整形をしたからといって劣等感が解消されたわけではなく、劣等感はマイケルの生涯ずっと付きまとっていたらしい。
その劣等感を紛らわすためにドラッグに手を染め、そのドラッグで死ぬという最期であったらしい。
この話からわかるのは、マイケルでさえ、劣等感というこの世の闇を克服しきれなかったということだ。
歴史に名を遺した偉人でさえも克服し難い問題なのである。
2週間に1回、僕はカウンセリングに通っているのだが、そのカウンセラーも「劣等感は消えないよ。小さくはなってはいくけどね。」と言っていた。
多分、これが正解なんだと思う。
今回は、劣等感の話1つだけ書いていったけど、探してみれば、この世で解決し難い、または解決できない問題は山ほどあると思う。
人間は、基本的にポジティブに思考したがる生き物だから、無理にでもこの世の光や出口を探し、出口がなさそうだと思ったら思考を辞めるたちの悪さ。
いい加減この世に出口がないって認めたらいいのにね。
そして、こんな出口のない価値のない世の中なんて一瞬たりとも存在する意味がない。
出口のない闇を抜ける方法は自殺か寿命
個人的に、出口のない苦しみに満ち溢れたこの世に存在する意味はないと思ってる。
出口がない故、その出口をこじ開けるのは自殺か寿命どちらかしかない気がしてならない。
確かに、苦しくても自殺せずに寿命を全うした人間は偉いんだけど、自殺した人も俺はかっこいいと思う。
むしろ、俺は自分で自分を殺せる勇気のある人を尊敬するし、俺もできることならそのようになりたいとさえ思う。
どうして自殺は「解決」なのか。それだけが、私たちが選んだわけではない生誕への、私たちの唯一の解答だから。私たちがそこではなんの意味ももたぬ行為に対する個人的な行為。自殺は「私」の最後の報復だ。(『カイエ』)
— シオラン (@Cioran_Jp) September 27, 2018
自殺した人間は人類の遠い未来の運命を身をもって示した者たちだ。彼らは予言者として尊敬されなければならない。やがて彼らの時代がやって来よう。人々は彼らを誉めたたえ、彼らに公的讃辞を捧げ、過去においてすべてを予見し、見抜いていたのは彼らだけだったと語るだろう。(『悪しき造物主』)
— シオラン (@Cioran_Jp) September 12, 2018
シオランの言葉を引用させてもらったが、すこぶる共感。
苦から逃れることができない世界で有る以上、このように、自殺して自らを救い、すべてを終わらせる勇気は拍手を送らざるを得ない。
世の中では、自殺者は敗者という考え方が根付いているけど、そのような人間はこの世の闇を理解しきれていないようだね。
この地球という惑星は一種のゴミ箱みたいなものであって、僕たちは、そのゴミ箱の生ごみを食いに来たウジムシみたいなもんなんだよ。
そのゴミ箱は出口もないし、生きる価値もない、苦に満ち溢れた暗い世界。
そんな世界から自らを殺し、自らゴミみたいな世界から脱出できる人間は強い人間だと思う。
そのような理由から、僕は
自殺者こそこの世の勝者だと思っている。