反出生主義

子供を産む親はこの世の本質を理解していない。(反出生主義者の叫び)

 

なんで、子供を産もうという行為に踏み切るのか僕は分からない。

・大好きな人との子供が純粋に欲しいからか?

・単純に子供をかわいいと思っているからか?

・子供を産めば自分が社会的に立派な人間に見られると思ったからなのか?

・単に、セックスが気持ちよくて子供ができてしまったからなのか?

・自分の老後を見させるためなのか?

・自分がかなえられなかった目標、夢を子供にかなえさせたいからなのか?

・子供を産み、幸せな家庭を気づくことが立派な大人のすることなどのように、社会に洗脳されてしまっているからなのか?

 

・・・・

 

理由は人それぞれだろう。

子供を作る理由は人それぞれだ。

しかし、どんな理由があれ、僕は言いたい。

子供を産む人間なんて馬鹿だと思う。

 

結局は、どんな理由も親のエゴ

冒頭で、子供を産む理由を羅列していったが、結局は親のエゴなのである。

 一つ一つ返答していこう。

・大好きな人との子供 が純粋に欲しい。

大好きな人と一緒にいることは素晴らしいことだ。

結婚して末永く幸せな夫婦生活を営むと良い。

だがしかし、それとこれとは別の問題で、好きな人だからと言って子供を産んで良いわけではないと思う。

理由は、お前ら二人の許可は下りていたとしても、生まれてくる赤ちゃんの許可は取りようがないわけだから。

産まれてくる赤ちゃんは本当は産まれて来たくないかもしれない。

お前ら二人が良いと思っても第3者の立場である、赤ちゃんの許可は取りようがないのだから、出産はすべきではないし、する権利さえ僕たちは持ってないのである。

赤ちゃんの許可を貰えない以上、出産という行為はなんとも傲慢で、自分勝手な行為と言わざるを得ない。

 

・単純に子供をかわいいと思っているから。

率直に言うと、本能の仕業だ。

本能が子供や赤ちゃんをかわいいと思うように作られているのである。

単純に言うと、子供をかわいいと思っているのは、自分の感覚ではなく、本能の仕業だと考えた方が良い。

 

・子供を産めば自分が社会的に立派な人間に見られる思ったから。

死ねば良いと思う。

これは上の2つの理由より明らかに酷く、明らかに自己中心的な考えであることは明白である。

なぜ、お前の承認欲求のために一人の生命を生み出すことまでする必要があるのか。

死ねば良いと思う。

 

・単にセックスが気持ちよくて子供ができてしまった。

出来ちゃった結婚とかでよくある奴だ。

付き合っている段階でセックスをして知らぬ間に妊娠していたという奴。

その勢いで結婚せざるを得ないというなんとも理性の欠片も感じられない野生の本能だけで突っ走っている劣等類人猿ども。

こういう奴らも異論なしで死ねばいい。

もし、自分が親の短絡的な行為で平均寿命80年という長い拷問に耐えなければいけないというふうになると殺意が出るのも当たり前だと思う。

 

・自分の老後を見させるため

異論なしで死ねばいいと思う。

説明するまでもない。

 

・自分が叶えられなかった目標、夢を叶えさせるため

これも、自己中心的すぎる。

仮に子供がその夢を叶えて幸福感を感じることがあっても、それは子供の努力であって、それを押し付けた親は自分勝手と言わざるを得ない。

そして、それは子育てでもなんでもなくただの押し付けなんだよね。

 

・子供を産み、幸せな家庭を気づくことが立派な大人のすることなどのように、社会に洗脳されてしまっているからなのか?

多分、国はこうでも洗脳しないと少子化問題が解消しないからこのように社会の空気を作っているんだと思う。

別に、これは普通なんじゃないのかと思うかもしれないけど、中国では一人っ子政策と言ってこれと真逆の洗脳が国中でやっている。

とにかく、社会の常識、洗脳に染まっている人たちが大勢いるからこそ出産という行為はあとが絶たないんだと思う。

冷静になって考えてみれば、出産という行為は幸福より、苦労のほうが圧倒的に多いことは簡単に気づく。

 

この世の基本原則は「苦」。人は生きてる以上絶対に「苦」からは逃れられない

僕が反出生主義を掲げる理由として一番大きな理由は、この世の基本原則は「苦」で成り立っているからなんだよね。

「苦」が根底にある以上苦からは逃れられないし、故にそのような苦を味わわせないためにも子供を産むべきではないという考え方なんだよ。

 

この世は絶対苦からは逃れられないような作りをしている。

例えば、怠惰。

怠惰は最初は楽で幸せのような気持ちを味わえるが、後に必ず後悔や無駄にした時間という意味で「苦」が待っている。

 

逆に、努力。

努力は最初に「苦」を感じるが、その後に努力が報われ、「楽」を感じることができる。

 

どの道「苦」は避けられないし、釈迦でさえ「苦」から逃れきれるまで相当な修行という「苦」を経験しているのだから、この世で「苦」を感じない人はいないのが世の常なのだよね。

仮に、「苦」を感じないのであれば、そいつは釈迦のように悟りの境地に達してるか、どうしようもないくらい頭がお花畑なのかどっちかなんだよね。

バカほどこの世を天国って言うけど、そのような奴らが適当に子供ボコスカ産んでさらに地獄を作り出してるってことなんだよ。

 

他にも、劣等感、病気、人間関係、不運、事故、自然災害など

人間の力ではコントロールできない範疇の「苦」もたくさんあって、世の中は圧倒的に嬉しいことよりも苦しいことのほうが多いのは誰だって分かるはずなんだけど。

 

とにかく、誰が何と言おうとこの世は地獄だし、この先の地獄を作り出さないための最善の方法が反出生主義ってわけ。

 

子供を作ることは幸せだけが未来ではない。

子供を作る人間に対していつも思うんだけど、

なんでそんなに楽観的なん?

別に学歴とか、頭がいいとか関係なく、子供を産む親はバカを何個つけても良いくらい

バカバカバカバカ楽観的だと思う。

 

なんで、自分の子供だけ上手くいくと思ってるの?

・自分の家は経済的にも豊かだからか?

・自分の教育が正しいと思っているからなのか?

・自分の子供は才能に溢れた人間になると思っているからか?

・自分の子供だけ苦しみを感じず上手くいくと思っているからか?

 

このように思っているのなら傲慢以外の何物でもないと思う。

大バカ者の勘違いだと思う。

 

 

 

そもそも、経済的、環境的に恵まれていても、自分の子供が必ず幸せになる根拠なんてどこにもないし。

仮にその子供が「死にたい」「生まれてこなければよかった」と思ったとしたら、お前は子供の責任を取れるのかって純粋に思う。

 

それに、俺の例を出すとすると、俺は引きこもり、ニートだから一応親を心配させているわけなんだよ。

だから俺が引きこもっているが故に親まで不幸になっているわけ。

 

でも、これってよく考えてみれば分かるんだけど、俺が産まれてこなかったら、俺も苦しまずに済んだし、引きこもりの俺に親も悩まずに済んだわけだからどっちも幸せになってたんだよね。

 

ほんと。

 

親は本来幸せになるために子供を産むのに、子供を産んだから、親子どちらも不幸になるってある意味滑稽な光景だよね。

 

バカ以外の何物でもないし、それこそ人の命なんて取り返しのつかないことだから、ある意味、殺人じゃないかなって個人的に思ってる。

 

人を殺すのも取り返しのつかないものの代表例だけど、取り返しのつかないで言ったら、出産も変わらないから、出産=殺人で正解だと思う。

むしろ、殺人の痛みは一瞬なのに対し、出産は、生きるという長期的な苦しみを味わうんだから、出産のほうがタチの悪い気も個人的にするんだよね。

 

出産=殺人っていう考え方もあるんだなっていう程度にこれを読んでいる方は脳みその片隅にぶっこんでいただきたい。(弱者のせめてもの叫びである。

 

だらだらと書いているからまとめる

なんか、だらだらと書いていたら終わりそうにないので強引に強制的にまとめにはいろうと思う。

とにかく、僕が21歳にして気づいたこと、使命とでも言おうか。

それは子供を作らないことである。

ルーマニアの哲学者、シオランもこういった類のことを言っていた。


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人の親を痛烈に批判する直球的な言葉。

本当に胸を打たれる。

シオランからすれば両親はいずれも無責任な者か人殺しらしい。

気持ち悪い言葉だけど、すこぶる正論だと思う。

 

 

 

ただ、最後に言いたいのは、反出生主義は社会不適合者とか負け犬の遠吠えとかそのような次元の思想じゃないとだけは思ってもらいたい。

人間が本当に幸福な道を辿ってほしいからこそこの思想が大切なんだよ。

 

そもそも反出生主義の起源を辿っていくと、この世で一番最初に反出生主義を提唱してのは釈迦であって、反出生主義を批判する人は釈迦に反発する脳みそを動かさない、浅はかな人間であると言わざるを得ないと思うんだよね。

 

まぁ、勝手な宣言だけど、僕は子供を作りたいと思わないし、僕が子供を作らないことで、その子供が苦しまなくて済むし、この世が少しでも地獄に傾かないように弱者ながら悪あがきというか、無駄な抵抗をしていきたいと思う。

 

これが、俺の狂った考え。

 

人類なんて滅びれば良いと思う。

以上。

 

 

 

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