僕はテレビというものが嫌いだ。
理由はシンプルでテレビをつけると社会で言う成功者という部類の人たちが出演していて視覚化されてしまうからだ。
劣等感に苛まれる。
・顔が美形で世間で言う美男美女たち。
・スタイルが良いことでなることができるモデルという輩たち。
・人を笑わせ、楽しませることが得意な芸人といった者たち。
・コミュ力が高く、どんな仕事もこなしてしまうマルチタレント
・学歴が高く、知的な面をアピールする博識な者たち。
・とある会社の社長などのお金持ち。
・何らかの才能に優れ、その道で輝く者たち。
テレビに映っている者たちはこぞって長所、世間で賞賛されるというものを持っている。
テレビにはそういった輝いている者たちしかほとんど映っていない。
そして、それを見すぎるあまり、自分と比較してしまい劣等感に苛まれる。
「俺にはなにもない」
ということを。
ただ、僕はこういった長所、世間で評価されるという物を持った人たちを非難するつもりはない。
むしろ、どちらかというと、賞賛したい気持ちだし、尊敬している人たちもいる。
ただ、問題だと思うのは、こういった成功者、社会の勝者といった人たちをテレビを通して垂れ流しにし続けている所に問題があると思うのだ。
問題なのは、出演しているキャストではなく、テレビというメディア、媒体そのものなのだと思う。
テレビとは成功の形の洗脳装置である
テレビとは一言で言って洗脳装置である。
そしてそのテレビを通して 、今世間ではどんなものが評価されるのか、どんな物をもつべきなのか、どんなものが価値があるのか、どんな成功が良いのか、どんな思想が良いのか。
などの洗脳操作が簡単に出来る装置なのである。
そして、民衆は、このテレビを通して、あるものに価値を感じ洗脳され、それを手に入れようと邁進する。
そして、テレビでは、容姿、学歴、コミュ力、面白さ、才能、お金、運動能力、などの本当に価値があるのか分からないものを強調して民衆に押し付ける。
そして、そのテレビに踊らされ、そういったものを手に入れようと、過度な競争が国で繰り広げられその競争から脱落したものは鬱、自殺、犯罪、といったゴミみたいな問題を山積みにさせる。
テレビは良い側面もあるが、個人的には、悪い側面のほうが圧倒的に多いのではないかと思う。
テレビの価値観の押し付けは人々の生きる幅を狭め、生き方を窮屈にせざるを得ないと思う。
小学生の頃感じた、テレビの人たちのようにならないといけないという強迫感
テレビは洗脳装置と言ったけど、子供ほど洗脳されやすい生き物はいない。
ゆえに、子供でのテレビの見すぎは簡単にテレビの価値観に洗脳されてしまう。
さっきも言ったけど、テレビに映る人は容姿端麗で、頭が良く、面白く、才能に満ち溢れた人たちばっかりだ。
子供はそれを見て、「自分も将来ああいう風にならないといけないんだ。」
という無言の洗脳をされてしまう。一種の強迫観念だ。
しかし、実際問題、みんながそのような才能に満ち溢れた人物になれるわけではない。
競争社会で有る以上誰かが報われれば誰かは辛酸を舐める。
その高い地位のポジション、椅子が少ないがゆえにその少ない椅子に座れる人は限られてくるのは猿でもわかる。
そして、当たり前のようにドロップアウトする者がでてくることも猿でもわかる理論だ。
ゆえに、当たり前のように出てくるドロップアウト者を見放すのは国としては無責任で、ドロップアウト者こそ救われるべきなのである。
才能に溢れた人は国が面倒を見ずとも勝手に救われる運命にあるからだ。
誰かが、才能に溢れた人は救う。
逆に、才能に恵まれなかったものは誰からも救われない。
この格差、不平等さ、社会の歪を少しでもマシにするべきだと思う。
ドロップアウト者こそ立派に闘ったはずの人間は多いはずである。
敗者にも賞賛される権利はあるのではないだろうか。
劣等感を増幅させるテレビ
現代では、様々な社会問題がある。
僕のようなニートを初め、引きこもり、家庭内暴力、犯罪、自殺、鬱、絶望。
物質的には恵まれているはずの日本なのに自殺率は世界で13位。
これを高いか低いかどう見るか人それぞれだけど、200個国があるなかで13位はかなり上位と思う。
なぜ、これほどまでに自殺率が高いのか、自分なりに分析してみた結果、テレビもかなり影響しているのではないかという考えに至った。
簡単に言うと、テレビを見ると、劣等感を感じる人は多いと思う。
そして、その劣等感が増幅していくと、鬱などの精神病に発展する。
生きる勇気、自信を無くし「生きる意味などないんだ。自分はダメ人間なんだ。」というマイナスの自己暗示をかけ続ける。
どんどん悪化して、自殺、犯罪につながる。
思うのは、テレビを通して、成功の形を固定化してしまうのはよくないと思う。
逆に、テレビがなければ、成功の形というのも見えづらくなるので、人と変わっていてもそれを個性として受け入れられる可能性は高くなると思う。
ダメさ加減を受け入れやすくなるというわけだ。
変人でも社会が温かい目で見てくれたり、本人も個性だと思って前を向ける可能性は増えると思う。
まぁ、とにかくテレビはメリットより害悪の側面が強いと思う。
テレビはこの先もこの世からなくならないが、上手く付き合っていきたいと思っている。
まあ、とにもかくにもテレビに映っている輩はどいつもこいつも才能に溢れた奴らばっかなので進んでみる気にはならないが・・
テレビを違う名前で呼ぶとしたら劣等感増幅巨大化装置とでも言っておこうかな。
もっと、良い名前があるよって方はコメントで。