劣等感。
なぜ、こんなものがこの世に存在するのかまったくわからない。
ある人は、劣等感があるからこそ人は成長しようとするから劣等感は良いことだ。という人もいる。
有名な人であれば、心理学者のアドラーなんかもこの類の人だ。
アドラーの書籍、「嫌われる勇気」も1300円払って、読んでみたけど、率直に言って、正論などの一般常識を並べただけのなんの参考にもならない駄作だった。
1300円返して欲しいとともに、俺の期待感を返してほしい。
書籍を読み終えた後、絶望感に支配された。
はっきり言って、アドラー心理学は未完成で幼稚な心理学であり、なぜこれほどまでに評価されているのか分からないほどの理論であった。
はっきり言って劣等感なんてないほうが良いに決まっている。
ないほうが、絶対幸せである。
アドラー心理学は解決するのが難しいどうしようもない劣等感という問題を無理やりポジティブに捉えようとした幼稚な発想の心理学なんだよね。
それで、人はその理論がどれだけ幼稚であっても、基本的にポジティブなものが好きな脳みそお花畑な奴がほとんどなので、あんな本でもヒットしてバカ売れするってことなんですよね。
逆に、あんな本がバカ売れするってことは、ほとんどの人間が劣等感を抱えていて一人で問題を解決できなかったからあんな本に縋りつくわけであって。
そういう点で、見ると本当に劣等感ってのは解決するのが難しいドラクエで言うゾーマみたいな奴なんだよね。(ドラクエあんまりやったことないけど。
とにかくだけど、この世に劣等感というゴミみたいなものを生み出した神を恨んでも恨みきれない。
突然だけど、低身長ってどうすればいいの?
ちょっと、話が変わるけど、僕の劣等感の悩みの種の話を聞いて欲しい。
興味あるかどうか知らないけど、僕は低身長が劣等感だ。
低身長と言っても170センチあるのだが、(もしかしたら170センチないかも。)
僕がそれを劣等感と感じている以上劣等感なのである。(身長が170センチないひとには本当に贅沢な悩みだし、そこは本当に申し訳ないと思っています。
身長を劣等感に持っている以上、無意識に男性とすれ違ったり、出会うと、背比べをしてしまう。
そして、身長が高い、低いで一喜一憂してしまうのだ。
僕の方が、身長が高ければ安堵するが、低いと精神的劣等感のダメージがチクチクと僕のメンタルを攻撃する。
精神的劣等感のダメージがどんどん蓄積されていくわけだ。
そして、一定以上の精神的ダメージが貯まると、鬱、落ち込み、無気力、自己否定、自信喪失と言った四天王ならぬ自殺警報五天王が襲ってくる。
こいつらが襲ってきたらそれをバネに努力するどころか、生きるのが嫌になって生活自体を放棄したくなるので、怠惰の極みに走ってしまう。
死にたくなるし、存在意義自体わからなくなる。
ほんとうに劣等感が存在する意味が分からない。特に身長はもう伸びないし。
どうやって、この劣等感を克服したらいいのか分からない。
もうかれこれ10年近く悩んでいる。
そして、こういう精神的ダメージを受けるたびにこの世は地獄であるということを再認識するのである。
とにかく、劣等感にへこたれない強いメンタルを持ちたい。
劣等感に負けない、鋼のようなメンタルを持ちたい。
鉄の女サッチャーのような人になりたい。
釈迦は
我将に、汝の軍衆を破るべし
第一軍 貪り 第二軍 うれい
第三軍 飢渇 第四軍 愛着
第五軍 なまけ 第六軍 おそれ
第七軍 疑い 第八軍 剛情
第九軍 名利 第十軍 驕慢
このような強い気持ちを持って生きていきたい。
劣等感で精神的ダメージのはけ口をどこに向けて良いのか分からなかったのでブログにでも書いて吐き出してみようと思った。
劣等感ほど、めんどくさく、対処しづらい相手はいないとここ数年、長く痛感している。
ただの愚痴記事。
ただの鬱憤を晴らすだけの回。
書くのも精神的にも疲れた。寝る。おやすみ。