私、きつねこの脳内

人生に期待するな。絶望しろ。人生は絶望した方が腑に落ちる。

人はこの世に期待する生き物だ。

苦しい場面があった後に必ず良い見返りが待っていると思いたい生き物。

 

しかし、私はこの人間の習性に随分と苦しめられてきた。

 

うつ病の時が特にひどかった。

うつ病を6年間患っていたわけで、そんな状況で受験勉強とか学校に通うとかバイトをしてみたりやったけど、上手くいったのはどれもない。

苦しい時期だった。

特に人生に期待、希望を持っていた5年間は地獄であった。

 

しかし、私はこの世の向き合い方、考え方を変えたらうつ病の最後の1年間は苦しかったけど、質の悪い苦しみではなかった。

むしろ苦しみでも清々しかった。

勿論最後の1年も苦しみしかなかったが、その苦しみの受け取り方が変わったからほとんどダメージは受けなかった。

むしろ、この世のゴミさが露わになったので自分の意見に自信が持てた。

その理由をまとめていきたい。

 

 

 

まぁ、この世に期待するなっていう話。

この世は絶望しておいた方がお得だよっていうツイートをまとめて貼っておいた。

 

本当に、人生というのは運が大きい。

勿論、行動するとか考え方を変えるとかで運も変えられるけれど、それでもコントロールできない不幸とか見境なしに襲ってくるのがこの世なんだよね。

そんな時にこの世に期待してるか良い意味で諦め絶望しているかでダメージの受け方がかなり変わってくる。

 

基本的に絶望しておけばマイナスをそれ以上大きくせずに受け止められるし、ちょっとしたプラスがいつもより大きいプラスに見えてくる。

だから、本当にお得。

 

だから絶望した方が良いよ。

 

あと、絶望するのは良いんだけど、絶望を少しでもマシなものにするのはどうすればいいか教える。

 

って言ってる私もそこまで結果を出した人じゃないから偉ぶって言える人間じゃないんだけど、大切なのは

行動。

 

うん。もうこれしかない。

行動して走り続けろ。

そうすれば絶望が少しづつ薄れ景色の違う絶望が出てくる。

基本的にどれだけ行動してもこの世の本質は絶望だから絶望から脱出しきるのは不可能だ。

しかし、絶望の色合いを変えるのはこれしかない。

どす黒い暗闇しかない絶望から、絶望の隙間に光が差し込む絶望に変えるために。

 

 

こういう意味で釈迦の人生とはこういう意味だったような気もする。

釈迦もこの世に絶望し、出家を決意する。

そして、あらゆる知識人に会いに行き、死ぬ間際まで苦行を積み、悟るまで菩提樹の下で動かなかった。そして80歳で死ぬまで弟子たちに悟りの道を教え、本当の幸福の形を教えに回った人である。

 

まさに行動の人である。

そうした行動から、釈迦の見る景色は絶望に少しずつ光が差し込んでいったのではないかと私は推測する。

 

そして、釈迦は死ぬ間際に言った言葉がこれらしい。

この世界は美しい、人生は甘美である

 

この世の何も考えてない人たちと言っているものは大して変わらない。

 

しかし、発言の重みは圧倒的に違う。

 

この発言は釈迦くらい生き方に重みのある人しか言ってはいけないものだと思う。

 

普通の人がこの世は美しいなんて軽々しく言うものではない。

 

これは釈迦だけが言って良い言葉。釈迦くらいこの世の闇と光を理解しきった人が言う言葉。

 

本当の世界はどす黒く残酷で汚い、ゲロそのものの世界なのだ。

 

だから人生は絶望しろ。人生は絶望した方が腑に落ちる。あるがままこの世を見つめられているからだ。

 

期待するのではない。絶望しろ。そして行動しろ。そうすれば絶望の景色が変わってくる。

 

 

 

 

-私、きつねこの脳内