このゲロみたいなブログでは頻繁に反出生主義について取り上げている。
そのたびに出生主義側の人間と意見のぶつけ合いをせざるを得ないんだけど、
今回はそれに関連した話をしていきたい。
出生主義側の言い分としてこれを見る機会が多い。
出生主義側の意見はこうだ。
「産まれてきた子が幸せになるのであればこの世に産んでも良いのはないか?」
要は、産まれてきた子供が幸せであれば産んでも問題ない!
という意見らしいのが、10%同意で90%意味わからんというのが私の意見だ。
幸せって大きく分けて2種類の幸せがあるんだよ。
まずそもそもだけど、「幸せ」ってなんだろうか?
そっから考えてみたいと思う。
幸せにも色々ある。
僕は、幸せは大きく分けて種類の幸せがあると思っているんだ。
それは、
・条件付き・相対的な幸せ、
・無条件・非相対的の幸せ
言葉のチョイスが正しいか分からないけど、どういったものか説明していこうと思う。
まずは、条件付き・相対的な幸せ。
要するにこれは、人と比較してそれで上か下かを判断し、幸福感が決まるというものだ。
・人よりもお金持ちだから幸せだ
・人よりもイケメンだから幸せ。
・人より勝っている所があるから幸せだ
・美人な女性と結婚したから幸せだ。
・日本に生まれて幸せだ。
まぁ、こんな感じだろう。シンプルに言うと。簡単に言うと、人と比較して幸福感を決めている。
逆に、無条件・非相対的な幸せというのは、
・生きているだけで幸せだ。
・呼吸できているだけで幸せだ。
・二足歩行できるだけで幸せだ。
・太陽を拝めるだけで幸せだ。
まぁ、こんな感じ。
要は、ほとんどの人が感じれる幸せなわけだ。
この2種類の幸せの形。あなたはどちらで幸せを感じとっているだろう。
多分だけど、無意識的に人と比較して、「自分ってすごい!」「自分ってマシだね」とか思っているんじゃないかな?(だって俺もそうだもん。
でも、こういう幸せの感じ取り方をしているのって実は一番駄目なんだよね。
特に、さっきの話に戻して、出生主義側の意見に戻すと、それは間違いだと思う。
要はね。比較で、幸福感を決めている以上、自分の子供は幸せになっても競争がある以上、誰かを不幸に貶めているってわけなんだ。
子供を産んで良い人は非相対的で幸福感を感じている人だけ。(まぁそんな人間、もはや釈迦だけど。
勿論、
・ただ呼吸しているだけで幸せ!
・太陽を見れるだけで幸せ!
・交通事故で後遺症が残って寝たきりだけどそれでも幸せ!
・嫌われ者、貧乏、孤独、不健康、だけどそれでも幸せだ!産まれてきてよかった!
とか言えるほどの人間だったら俺も子供産んで良いよって思うよ。
むしろそんな状況下でも希望を持ち明るく生きれる人を僕は尊敬し賛辞を惜しまないよ。ていうか、そんな人いたら悟った人と思って死ぬまで弟子としてついて行くよ。
でも、生きてきて実際にそんな物凄い人間に会った経験はないし、ほんとゴミみたいな奴がボコスカ子供産んでいるんだから。
それに、幸せの形も人を蹴落とすような形でしか幸せを感じれない人間ばかりなんだから。
人類が非相対的に幸福感を感じる人たちだけだったら、どんな人間も幸福になるしかないから、人類は存続しても良いと思うけど、
人と比較して相対的に幸福感を判断しているようじゃ、この世から不幸な人間は発生し続けるわけだから結局、子供は産んじゃダメ。
っていうワイの理論。
はい。論破。
それでも、人類は存続しないといけない!っていう人は、高確率で人間の皮を被った鬼だよ。
人の気持ちなんかわかりゃしないんだ。人なんてどうでも良くて自分さえ良ければ良いと思ってる自己中ゴミやろうなんだろう。
はい。̪異論なし。
バイバイ。