僕にとって幸せとか不幸とかは結構どうでも良かったりする。
勿論、幸せになりたいという感情があるのは認める。不幸になるよりかは断然マシだからだ。
人ともそれなりに付き合えて、健康で、トラブルもない状態で平穏に続く生活がどれほど幸せか。
最近は自分で言うのもあれだけど、結構幸せな状態だ。
鬱と言う地獄を経験したからこそこれは身に染みて感じる。平穏と言うのは素晴らしい。
でも、だからと言って、幸せだとか不幸だとかも結構どうでもいいんだ。
ていうのも、世間では、
「幸せになれるのであればこの世に産まれたい!」
「不幸になるかもしれないから産まれたくない!」
・自分は幸せだから産まれてよかった。・自分は不幸だから産まれたくなかった。
っていう意見を耳にする機会が多い。
分かるっちゃ分かるけど、僕は意味が分からない。
要は、産まれて来て良かった良くなかったというのを幸不幸で判断しているんだけど、僕はそんなもので判断しないよって言いたいんだ。
結論から言うけど。
生きるのってシンプルに面倒くさくない?
って話。
いや、シンプルに面倒くさくない?
朝起きて、朝飯食って、寝ぐせ直して、歯磨きして、着替えて、家を出て、業務をして、煩わしい人間関係をして、帰宅して、飯食って、風呂入って、寝て、
朝が来て起きて朝飯食って・・・・・・・・・
っていうこの無限ループ・・・・・・
シンプルに面倒くさくね?
逆に休みの日でも、何かと時間を潰すためにゲームしたり、テレビ見たり、
本読んだりっていう・・・・・・
シンプルに人生と言う退屈潰しが面倒なんだわ。
なんで、こんなどうでもいい退屈潰しのために80年と言う長い人生を背負わされないとだめなのか。
ある意味、退屈潰しと言う名の苦行である。
どれだけ、退屈な時間を紛らわせるかの一種のゲームみたいなんだよ。バカげてる。
ただでさえこの世は、退屈潰しと言う名の苦行なのにそれにこの世の不幸というトッピングがどんどん乗っていくっていう、
なんやこのアホな世界。さっさと滅びれば良い。
虚無主義こそ最高だ。
この世の至高である。
虚無主義に気づいた人間ほど、人生に無駄な意味づけをせず、ありのままの世界を受け入れているという点では僕は物凄く親近感が湧き、取り繕ってない素直という点で人として魅力を感じる。
本当に、この世は虚無だ。
虚無主義は バカにされるが、僕はこの世に意味はないのに必死に意味づけをして希望を見つけようとする人たちの方がバカだと思う。
生きてきた意味とか、人間がいる意味とかそんなものないんだよ。勘違いもほどほどにだよ。
虚無でもなんでもいいんだ。
生きるのって面倒くさいし、バカバカしいし、意味づけをしたところで意味がないのに気づく。
さらに、それを存続させようっていう出生主義に対してめちゃくちゃ反吐が出るよ。
こんな世の中を存続させようという神経が分からない。理解に苦しむのみだ。
お願いだから、来世は産まれてきたくない。
来世なんてまっぴらだ。
どれだけ幸福で楽しくて素晴らしい人生が保証されていようとも。