散々、このブログに「早く死にたい」的な気持ちを吐き出して来たけど、最近の本音を言うと、「最近はそこまで死にたくないかな」という気持ちになっている。
「死んだら死んだで良いけど、今すぐにでもこの世から脱出してあの世に逝きたい!」
ってわけでもないんだ。
理由は単純で、最近はなんだか調子が良いんだ。
別に彼女ができたとかそんな浮かれた話ではなくて、気持ち的に安定してきて、気分の浮き沈みがかなり減って来たんだ。
人ともそれなりに会話できるし、それなりに楽しい生活を送れているからだ。
特になにかをやったわけではないし、単に運が良かったというしかないんだよね。
単純に運に感謝するだけなんだ。
まぁ、前置きはこのくらいで、安楽死の話をしていこうか・・・
うん。最近は調子は良いんだけど、安楽死は結局あった方が良いと思っているよ。
これも理由は単純で、世の中はいつどんな不運、不幸が襲ってくるか分からないからなんだ。
至ってシンプルだ。
想像すればキリがないよ。
突然、地震が起きて物の下敷きになって体に後遺症が残るかもしれない。
突然、交通事故にあって、体が動かないかもしれない。
突然、町で暴行にあって障害が残るかもしれない。
突然、治りづらい病にかかるかもしれない。
将来的に認知症になって体が動かないかもしれない・・・
もう想像すればキリがないよ。
いつだれがどこで、こんな目に会うか分からないんだ。
もしそうなった時僕は生きる気力を大きく削がれると思う。
生きていても楽しくないと思うのだ。いっそ死んでしまいたいと・・・
そんな時に唯一の希望となるのが「死」という状況なのだと思う。
「死」と言うものは素晴らしいと思う。
この世のどんな悩み、苦しみを一気に消し飛ばしてくれるのだから・・・
しかし、自殺となると計り知れないほどの多大な恐怖と戦わなければいけない。
要は、自殺をするなんて人間的に相当狂ってないとできないものだからなんだ。僕も自殺しようとしてみたけど、結局できないんだよね。自殺なんて。怖いから。
安楽死があれば自殺なんてする必要はない。安心して死ねる。
狂気、恐怖、躊躇、強靭な精神、どれも必要ない。
この世の苦痛、どうしようもなさは誰だって見境なく襲ってくる。
そんな時、あなたはどうするか?
それを克服して周りに「俺は克服できたからお前らも努力しろ!」とでも上から説教を垂れるつもりなのか?
いや、僕はもしそれを克服できたとしても周りに「克服しろ!」とは言わない。
そんな無地味で弱肉強食を象徴するような言葉は反吐が出る。
それを克服しようがしまいが本質的に意味はない。
人生に意味はないんだ。
苦しむ意味もない。さらに克服する意味もない。本当に意味がない。どれもこれも意味がない。意味がないから死んだ方がマシと言う考えなんだ。いっそ苦しまないんだから。
だから僕が次にどうしようもない苦しい状況に直面し、そこに安楽死があれば迷わずそこに向かうよ。
虚無でも、ネガティブでも空しくてもなんでもいい。批判したけりゃ批判しろ。
ポジティブという幻想を追いかけ自分をごまかし、それを人に押し付け、世間の風潮を盲信し、世間の風潮に洗脳し洗脳され、
関係のない人の人生に「死んだら負け、自殺は負け、最後まで生き抜け!」と上から物言い、弱肉強食、艱難辛苦、慈悲の欠片も感じられない。不幸になったら自己責任と切り捨てる。
死ぬ自由も与えられない。
そんな世の中ポジティブ考えたところで余計にこの世の惨さに拍車がかかるだけだ。
そんなの反吐がでるよ。
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