世間ではよく「バチが当たる」という言い方を使います。
この言い方・表現は個人的に僕は嫌いです。
好きではありません。
なぜなら、僕の感覚としてはすでにこの世に生まれてきた時点でバチに当たっているようなものだからです。
この世に生を受けた時点でバチに当たっているんです。
なので、僕は、
「そんな言葉使うとバチが当たるぞ」
「親に感謝しないとバチが当たるぞ」
「先祖を敬わないとバチが当たるぞ」
「宗教をバカにするとバチが当たるぞ」
と言われても納得できません。
「人を殺すと逮捕されるぞ」
「人を殴ると殴り返されるかもしれないぞ」
と言われるとその因果関係ははっきりしているので、言われてわかるし、納得できるのですが、
なぜ、先祖を敬わないとバチが当たるのか?
なぜ、親に感謝しないとバチが当たるのか?
なぜ、宗教をバカにするとバチが当たるのか?
そこには、明確な因果関係や、法律やある種の自然の法則みたいなものが存在しているのか?
いや、存在しない。
ただ、バチが当たるという表現を使う人は目に見えてない縁起や霊的なモノを気にしているだけに過ぎない。
安心して。
僕は言いたい。
そんな縁起とか霊とか気にせずとも、もう僕たちはこの地球という地獄の窯の底に生み落とされた時点で盛大なバチに当たっているのだから。
取り返しのつかないバチに当たっているからだ。
もうすでに盛大なバチに当たっているのに、これからバチに当たるかもしれないと不安がる人さまは面白いほど滑稽である。
何をそんなに恐れる必要があるのだというのか?
そもそも論として、バチに当たっているわけだし、先祖も親も大した人たちではない。
宗教もほとんどの人を救えない無力なただ権威を振りかざしているゴミ団体に過ぎない。
適当な方便を並べて、適当に宗教の相談とやらお祓いやらを装い金を巻き上げ、修行が必要と継続的に宗教を信じさせ通わせる。結果、宗教団体には金が集まる・・。誰も救えないくせに・・
そんな大した存在でないモノが人にバチという危害を与えられるだけの力があるだろうか?
それに、宗教批判してバチを与えてくる宗教なんてどんだけ心の狭い宗教なんだよ。って真顔で突っ込みたくなる。
そんな宗教存在する意味はないし、むしろ、この世をさらに地獄化させているから、滅びた方が良いに決まってる。
ふと、思うけど、「バチが当たる」という教育は洗脳教育かもしれないとさえ思えてきた。
愛国心、親、先祖、宗教、社会、
これらを信じないとバチが当たると盲目的に信じ込ませて、そして、疑わせない。
疑わないと、国が作った常識を盲目的に信じやすくなってしまう。
その常識を盲目的に信じ込んだらあとは、国としても操りやすい。
そして、国操られた者たちが、次は国に代わって洗脳する側になり、お国の立派な洗脳伝道師へと仕立て上げられる。
それが、親から子、そして次の世代も、次の世代も・・
終わりのない地獄・・
マジでこんな世の中クソ。
朝からこんな内容ですいません。